「障碍者」という存在
おそらくは、それほど頻繁にあるケースではないと思われますが、「障碍者」という存在があります。義務教育である小中学校は、「ひまわり学級」など別の呼称がついてるものの、いわゆる「特殊学級」が設立され、障碍児を扱っています。
そうした中学校を卒業すると、実社会に出たり、障碍の度合いが低ければ高校に進学したりというケースが出てきますね。また、障碍は先天的なものばかりではなく、「五体満足」で生まれても途中から障碍者になる場合もあります。
多分、日本は教育水準が高く、障碍者への当たりも親切なんだろうと思います。私自身、車椅子で移動してますが、出かけると高い確率で「押しましょうか」といった声をかけていただきます。たぶん、私に目つきの鋭さや斜視など、見た感じですぐにわかる感覚器の障碍がないということもあるんでしょうね。
最近はバリアフリーなんていう言葉も普及して、障碍者でも暮らしやすい社会をつくるように変えていく方向に行ってそうですが、言葉はよくありませんが「もうちょっとどうにかなんねぇか」と思う場合もあります。
そうした思いとは裏腹に、補助金をいただいたり税制面で優遇されたりといった補助を受けるわけですから、罪悪感のようなものもあります。どうせ社会の役に立ってないのに、ここまで厚い保証を受けていいもんだろうか、と。そんな両方の思いに挟まれます。逃げ場もないのに。
一口に障碍といっても、その部位も、障碍の深さも、さまざまです。よほど仲のいい、つき合いの長い友達でもないと、どこまで補助すればいいのかわかりにくいと思います。かといって自身の障碍について明ることを嫌う人もいますしね。ケースバイケースとでもいえばいいんでしょうか。
まずは、どんな障碍があると、どんな不具合があるか、知っておくことから始めたほうがいいかもしれません。